こだわりといえばこだわりですが・・・
商品に対する私の判断基準はお客様がその商品を気に入るかどうかです。自分の考えは入れません。よく言われるのですが、あなたは水フィルター掃除機を25年販売しているのはよっぽど気に入っているからでしょうと。答えはいつも同じです。「お客様が喜んで使ってくれているから。10年、20年たっても家庭用掃除機で修理依頼が来るのは販売した者にとって最大の喜びなのです」
●水フィルター掃除機に出会うまで
司法試験浪人中だった私は、30歳を過ぎてから仕事を探し始めました。当時は大変な就職難でしたが、運よく中堅の商社に入社できました。しかし、その会社は、自分の性格には全く合いませんでした。
数年後1982年12月、水フィルター掃除機のセールスマンになりました。年間400台以上販売しましたが、キャンセルは1件のみでした。まさしく水をえた魚のように365日働きました。営業が大嫌いだった私は、営業が大好きになったと同時に、営業は全ての基本であることを学びました。つらいこと、嫌なことに記憶は殆んどなく、喘息が治ったとか、テーブルの上のホコリが少なくなった、部屋が綺麗になったと言われた時は心の中では優越感で一杯でした。
●挫折と苦悩
日本で水フィルター掃除機が爆発的に売れた背景には、1936年アメリカ生まれの「アクアレインボー」しかなかったことがありました。その爆発的大ヒットは、不幸なことに経営者達の経営方針、利益の分配をめぐり対立、分裂をも引き起こしました。
私自身も独立を余儀なくされ、1984年7月に現在の会社を作り、その数年後、アクアレインボー(キングネプチューン)を輸入することになりました。会社経験の少ない私は多くの社員を抱え大いに苦労しました。トップセールスマンであった私は普通のセールスマンや内勤の人達の気持ちがわかりませんでした。
●「英語ができなくても貿易はできる」
私も多くの人と一緒で大学受験まではクラウンの辞書が1~2年でボロボロになるまで英語を勉強しましたが、大学に合格したら全て英語の勉強は終わりです。受験時代から数えて15年、20年たって、輸入業務を開始しました。優れた水掃除機を探してニューヨーク、シカゴ、ネバタ、ロサンジェルス、サンフランシスコの掃除機メーカーを訪問して各種掃除機の輸入をいたしました。ニューヨークでは、米国製のナショナルやサンヨーの強力掃除機を薦められました。価格は20万円近かったと記憶しています。後半はスイス、イタリアの掃除機の輸入が中心となります。
昔はインターネットなどなかったのでいちいち展示会、メーカーを尋ねて商談しました。何しろ私は英語が分からないので失敗談、笑い話は満載です。恥ずかしいので一つだけ話します。或るメーカーと話していて、スイッツランドと言うので私は最後まで相手方をフィンランドと勘違いしていました。スイスの人だったのです。私の知り合いも輸入をしていて、通訳を連れてドイツに行きメーカーと契約をしました。後で分かったことですが、契約者の署名は通訳本人がしていました。即ち輸入権は通訳者のものとなってしまうのです。当然、即刻解雇になりました。
私の知り合いで音楽プロデユーサーがいますが楽譜は全く読めません。感性のみで!?音楽プロデユーサーとして結構いい仕事をしています。英語は出来なくても貿易はできると同じように楽譜が読めなくても音楽関係の仕事が出来るんです。肝心なことは人生で何かをしたい時に自分勝手に枠や限界を決めないことだと思います。人の人生は面白いもので、出来ないことが反対に良いこともあるんです。平均点より自分にある長所を伸ばしたほうが自分にとっても世の中にとっても幸せだと思います。